スライムさんすこしがんばる

このひまをどのように

生きています

17年7月、GoetheのB2が取れた。いけるんじゃね?と思って3か月後にTestDaF受験、撃沈。それでもすべて3は取れたのでB2の実力はあると思っていいんだろう。
昨日またTestDaFを受けた、試験用の問題はやってなかったから口頭表現はてんぱったけど、勉強しなかった割にはよくできた。日頃ニュースとか読んでた体かもしれない。

留学するならTOEFLとかGMATとらないかんのだろうなあ。英語TOEICだけが得意だから結構やる気ださな。

そんな感じで生きています。

近況

このところどんどんどんどん意識が高まってきて毎日英語の勉強をしたり人と積極的にコミュニケーションをとったり、まあ英語は実際に仕事で使うからいいのだけど、多忙になってきたせいもあって、反動で頭に靄がかかってきた。精力的に活動する揺り戻しはやはりある。びっくりしたのは、楽しみにしていたブログの新しい記事、たかだか4,000字そこらの記事が全く頭に入らなかったことだ。仕事が忙しいとSNSやブログのアッパーなテキストでストレス解消をしようとするのだけど、やっぱりそれはそれで負担ではあるのだった。デジタルデトックスもたまには悪くないかもねと思う。

音楽はTaylor Swiftを聞いているととてもストレス解消になる。元気がでたら勧められたdeath gripsを聞きたい。

お誕生日席の赤ん坊

 朝、上司の上司つまりは事業部長クラスの上長から声がかかる。


 ―くん。ちょっといいかな。


 またか、と思う。憂鬱を見せないように一瞬で表情を整えるが絶対に笑顔にはしない。あなたを甘やかすことはありません、という表情でシマの端のお誕生日席に歩いていく。


 これさ、昨日の客先へのメール、どういうこと?


 ほらきた。正直やってはいられないという表情が自分でも出ていると思う。仕方がないから説明する。「仕様の変更をお願いされたので、その返答です。確約はしていません。正直厳しいとは思いますが、一応○○さんのグループに検討を依頼しています。」むろん、これでは済まないのがこの世界の常だ。案の定自分の返答に覆いかぶさるように、不快な声が発せられる。


 そういうことを聴いているんじゃないんだよ。こんな仕様変更があるなんて、俺は聞いてない。これじゃおれが上に説明できないだろうが。


 だったら最初からそう聞け、という言葉をぐっとこらえて「すみません」という。ここで反論をしてはいけない。彼が望んでいる答えを見つけ、それを丁寧に描写することに努めるのが最優先だ。「あちらさんも結構混乱しているんだと思いますよ。きっと向こうの意思決定がはっきりしたら連絡をくれると思います。週末あたりにフォロー入れておきますね。」


 ふーん。じゃあこれはちゃんとフォローされてるってわけね。りょうかいりょうかい。でもさあ、


 でもさあ、のあとはもう聞かない。感情を殺して相槌を打つマシーンに徹するのみ。途中に少し愛想笑いを入れて、仕上げに「大変ですねえ」の一言でも掛けてあげればこれでほとんど解決、最後に自席に戻ってから「ああ甘やかしてしまっている」という自己嫌悪を踏んづければ一連の動作の終わり。

 非効率なことこの上ない、と思う。今説明した事実によって物事は変化しただろうか。何も。こいつの時間感覚はどうなっているのだろうか。お前がただ知ることによってが何か便益をもたらしたことが今まであったのか。いや、聞くにしてももう少し態度というものがあるだろうとは思う、若輩者が言うことではないのかもしれないが。しかしほか中堅―ベテランクラスからも同様の苦情は寄せられるので、私の認知のゆがみではないと少し安心する。

 こういうとき私はああかわいそうな人もいるものだと思って悲しみに暮れ、すこし時間をやり過ごすことにしている。不安に飽かしてすべてを把握しようとしたところで、そんなことはできるはずがないのだ。挙げ句にどうにか数分で理解できた情報のみですべて自分で判断しようとするからタチが悪い。指示を受けた人間はシカトを決め込むか、さもなければ真に受けて東奔西走する羽目になる。要するに上からの評価に怯えたマイクロマネジメント型の上司。
 
これをうまく執り成した場合―それでも彼は指示を出したがるのだが、それは要約すればすべて「がんばれ」にという一語に変換される政治答弁のようなものになる。これを引き出せれば当座はよろしい。
 がんばれという呼び掛けには、頑張ります以外の返答はなく、何かが変化するわけではない。しかしこの応答は大切だ。誰だって職場の雰囲気を壊したいわけではないし、そうしてあやしておけば少しは静かにしていてくれる。赤ん坊みたいなものだ。

 職場の人間がそれを是正する努力を怠っているという考えはとうに捨てた。みな一度ならず学んだのである。だいたい、一回聞かせてわかるような相手であればこのような事態にはなっていない。
聞く耳を持っているかどうかは重要だ。自らの論理を開示しエネルギーを使って反駁したところで、その報酬が八つ当たりに近い怒鳴り声だというのなら、こんな骨折り損の話はないのだから。ただ私たちができることはゲリラのように上げる情報を丁寧に取捨選択し、ときにはなだめすかし、権力だけはある彼をどのようにコントロールするかという一点に尽きるのだ。

 この人はもう治らないだろうな、と思う。かわいそうだ。思えば父もそういう人間だった。父は家庭だからそういう態度をとっていたのであり、職場という環境にあれば颯爽と仕事をこなしているのであろうという一抹の期待が昔はあったものだが、これを見ているとどうにも違うのだろうと思うようになった。50代。親と同年代だ。いろいろなことについて親の説得を試み失敗した私だが、きっと二の轍を踏むことはないだろうと考えている。


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トイアンナさんの記事(下記)に触発されて、とても偉そうなお話を書きました。お恥ずかしながらマイクロマネジメントという言葉はブログを読むまで知りませんでしたが、ドヤ顔で使ってみました。ウチの上司はこんなですが、紹介先で書かれているほど細かくはなく、詰めもそこまで厳しくないのでなんだかんだ恵まれた環境だとは思っています。

toianna.blog.fc2.com

生まれ故郷に帰ってみた話

2年も前に書いた文章です



生まれたところに行ってきました。特に理由はありませんでした。

生まれてから5歳のあいだまで暮らしていた場所で、東北の地方のちいさな街です。6歳の誕生日に、東京の郊外に引っ越しました。理由は親の転勤。

—よくある話というやつで。


その地に用事などはなかったのですが、とつぜん無性に行きたくなりました。

先週に友人と飲んだ時に、生まれの話をしたからでしょう。普段出身の話をするときは面倒くさくて、東京の郊外出身です~・・・なんておざなりに話しているのですけれど。

友人と話した後、(ああそういえばあそこで暮らしていたのだ)という意識がどんどん強くなっていって、週末は予定も入れず、そこに行くのだと決めていました。

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土曜日。

新幹線で1~2時間。もう帰れないくらい遠いんだという幼少時の意識が残っていたのでしょう、ひどく簡単についてしまったことにおどろき、時間を持て余しそうで少し不安になりました。

何しろ小さいころだったので土地勘もなんも覚えちゃいないので、近くにあった小学校を目印にしました。そこからの道くらいなら覚えているかもしれないと思い、携帯で地図を確認しながら、地域住民に変な奴だと思われないように肩をすぼめて歩いていたら簡単についてしまったのでした。泊りのつもりで来たのに、今からでも東京に帰れてしまう・・・もったいないなと思っていました。

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家のとなりには床屋があって、よくそこの兄妹と遊んだものでした。殆どもうその記憶しか残っていません。幼稚園にも通っていたのですがその記憶はひどく薄く、きっと僕はそこがあまり好きではなかったのかもしれません。

「床屋のおうち」なら覚えていてくれるかもしれない、幸いまだ同じ人が住んでいるようだ―そんなことを考えてちらと床屋を覗きました。若い女性と初老の男性が座っていて、僕はあわてて目をそらし、床屋ではなく隣接した家屋の呼び鈴を鳴らしました。

床屋のほうからさっきの男性がでてきて、怪訝な顔で「なんですか」と尋ねました。こうこうこういう者です、近くに来たものですから挨拶に―と用意していた口上を述べると、なんだか半信半疑だという顔をして、それでも「ああ、―ちゃんかあ」と懐かしいイントネーションで僕の名前を呼びながら、床屋のほうへ招き入れてくれました。

変な男が来た、ということでいったん奥に下がっていたのでしょう、さっきの女性と母親が出てきてうれしそうに僕の名前を呼びました。彼女は僕とよく一緒に遊んでいた兄妹の妹のほうでした。顔なんか幼少時から十と数年も経てばわかるはずもなく、兄の名前のほうは覚えていたはずなのに、彼女の名前がなかなかでなくて少し申し訳ない思いになったのでした。

彼らは昔と変わらず朗らかに僕を招き入れてくれ、昔の彼らと僕を映したビデオテープをかけてくれました。当時の五歳児が十数年後に来たところで、話題がそれほどなかったというのが正しいのでしょう。それでも、ストーブを焚いた暖かい部屋でお菓子とお茶をくれて、ああ東北の冬の、室内のもわっとした暖かさはこうだったと、そういえば私は当時こんなふうによくお邪魔していたものだったと思いだして、安らかな気分でそこに居られたのでした。

床屋には休日の夕方だから、という理由では片づけられない寂しさのようなものが床屋のなかには薄く漂っていました。あの頃はもっと活気があったというのは幼少時の僕の記憶が正確ではないからなのか、それとも昨今の地方の事情を反映しているのかはわからずじまいでした。

私はなんとなく感傷にかられてここへ来たと言うことがどうにも恥ずかしく、いや友人がいるもので、近くへ来たついでなのですとしどろもどろに話していました。そうでも言わないとそこを退去するタイミングを逃して、なんとなく迷惑をかけてしまいそうだったから。

瀬戸内の島、佐島に行きました(もしくは、一人旅をめぐる思惑について)

 年明け以降、仕事も私生活もイイカンジにストレスフルな日々を送りながら僕が考えていたことは「無人島に行きたい…」でした。とにかく人の少ない場所に、できれば自然が豊かな場所に行きたくて行きたくて仕方がありませんでした。毎日毎日の通勤ラッシュ、白塗りのオフィス、街並みでの人混みで気が滅入るばかりだったのです。
 しかし、ゴールデンウイークと「人がいない場所」という二つのワードは大きく矛盾します。千葉県の各駅停車のみしか止まらない我が家の最寄り駅ですら休みの少年少女たちがわちゃわちゃと湧いているのいうのに、この日本で人がいない場所など果たしてあるのだろうか…という思いがこみ上げてくるわけです。
 確かに、ひたすらに家にヒキコモるという選択肢もなかったわけではありませんが、これもちょっとぞっとしない。一日中、5月のまばゆい日差しを忌避してたまの外出はコンビニとスーパー、いいとこ酒場か漫画喫茶という状態は精神衛生にはなはだよくないばかりか、休み明けには日焼けのしなさすぎで体育会系の上司に無駄に心配されるという不要極まりないオプションすらついてきます。
 そういうわけで今年の5月連休はどうしようかなあと考えていた初春のころ、ちょうど連休初日に福山(広島県)でカイシャの同期が結婚式を挙げるとのことで招待を受けました。これは、と思いました。

お車代で瀬戸内の無人島にいける・・・!と。(最低)

 そんなこんなで血も涙もないカンジで同期を祝福し終えたぼくは、一直線に愛媛県越智郡上島町佐島へ向かいました。もちろん一人です。

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 ちなみにこの記事を運悪くご笑覧頂いている皆様、一人旅についてはどう思われますか?寂しい?気楽?自分がするにしても他人がするにしても、さまざまな感想があるかと思います。ちなみにですけど、僕が思うのは「目的の薄い一人旅は案外さみしい」です。
 異郷で一人で行動するのは結構楽しい。国内海外問わず勝手のわからない土地で、一宿一飯をスケジューリングしながらその日の目的地にログインしていくのは、オリエンテーリングやサバイバルのようでなかなかよいものです。これぞ非日常。しかし旅行先を「なんとなくいろいろありそう・楽しそう」というアバウトな理由で「観光地」を選択するすると、この楽しさは豹変します。
 まず、観光地が混んでいる。しかも構成員のほとんどはファミリーやカップル、もしくは大学生のグループです。ここでその観光地に対する思い入れが薄い場合、どうしても周りに目が行きます。旅先で何気ないものを見てコメントしようにも、自分ひとりでは「ちょっと面白いかもしれないけど、わりとどうでもいいな…」と冷めていくばかり。例えば「生涯で一度はエルミタージュ美術館とツァールスコエ・セローの琥珀の部屋を見たい」くらいのモチベーションがあれば、旅先でもテンションを保っていられるのですが、目的が薄いままに観光地にいくと逆にダメージを負いかねないのです。(僕の場合です)

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 今回の一人旅は「マジで一人で何も考えたくない」という目的意識は強かったのですが、2年前のトルコでなかなかのダメージを負ったので、僕は保険を掛けました。すなわち、その日の宿に相部屋のゲストハウスを選択したのです。これが僕の中では結構恥ずかしい。
 だいたい、一人旅をしながらゲストハウスを宿場に選ぶなど、人とのコミュニケーションを求めていることの証左に他ならない。「こいつ友達いないんじゃないの」みたいな視線を自意識過剰に想定してしまう。別段誰も指摘するわけではないですが、僕は性格があまりよろしくないらしく、勝手に指摘されそうと感じて先んじて防衛を始めます。「いや松山に友人がいて、昨日は同期の福山の結婚式に出ていて、ついでなんですよヘラヘラ」みたいな。(いや、この言っていること自体は事実なのですが。)

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 結論からいうと、佐島は無人島ではありません。ぼくは無人島に行くことはできませんでした。それでも佐島全体の人口は600人程度であり、そこらじゅうにあるビーチには基本的に人がいません。GWだというにも関わらず。素晴らしいじゃありませんか。
 無人ビーチ探しとビーチで波を見ながら酒を飲むという目的は、数時間の移動というサバイバルの後、しっかりと達成されました。ハレルヤ。
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本当に人がいません。。。最高。。。
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 あと、僕の泊まったゲストハウス『汐見の家』さんは、僕の自己欺瞞をつゆほど気にかけず、ヒネた僕でも素直に楽しく思えてリラックスできるお宿を提供してくださいました。とてもよい感じの古民家をリノベしたゲストハウスで、五右衛門風呂などの体験型の装置もさすがだなと思わせてくれます。あと、瀬戸内の温暖な気候で僕の邪念も洗い流されたように思います。移住したい。最後に御礼を兼ねて、ここに名前を記させていただきます。ありがとうございました。
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晩御飯。対面はゲストハウス管理人の桂子さんとその娘さんのここちゃん。この日のお客さんは僕ともう一人。


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最初は旅行記風に書こうとしたのですが、こういうひねくれた文章を書くほうが楽しいのでこうなってしまいました。どの口で言うかとお思いでしょうが、瀬戸内はおすすめです。


今週のお題ゴールデンウィーク2016」

吉野朔美さん追悼

本当はGW前半の旅行について書こうと思ったのですが、昨日はてブをつらつらと繰っていたら「吉野朔美さんが亡くなった」というニュースが飛び込んできて「えええええっ…」となったので、書きつけておきたくなりました。



初めて読んだのは高校生か中学生くらいのときだったでしょうか。母に薦められた『ぼくだけが知っている』が初見でした。余談ですけど、女性の漫画家の人が描く学級のようすってすごいですよね。志村貴子さんの『放浪息子』然り、よしながふみさんの『フラワー・オブ・ライフ』然り。アンファンテリブルな子供たちを描くのがうまいというか。一足先におとなになろうとする彼女たちからは、「男子ってなんてバカなんだろう」というテーマのほかに、「こどもってなんて恐ろしいんだろう」という光景もうっすらと並んで見えていたのかもしれないと思わせます。


『ぼくだけが知っている』もまさにそういう漫画でした。主人公の小学生らいちがクラスメートや両親との出来事を通して成長(?)していくという内容です。吉野さんの書き方のせいか、読者は読んでる間に子供と大人を行ったり来たりします。いじめっこがすごく怖く思えたり、主人公らいちがアホに見えて仕方がなくなったりします。


また、思春期一歩てまえのあやうさ―悪いことをしながら「これは悪いことなのかもしれない」とうっすらと思うような―が水底からぼうと浮かび上がってくるような描き方と、吉野さんの尖った筆致と相まって、読み進めるごとにはらはらとします。でも、『period』のようなシリアスな話ではないので、ハートフルな場面も頻出し、カタルシスをもって短編が終わることが多いところも好きでした。


***

作品リストを見返すと、ぼくは『少年は荒野を目指す』以降の著作はだいたい読んでいたようです。意外にも寡作な方で、『本の雑誌』のエッセイでは映画や文学についても知識の深い話をしていて、エッセイ漫画もとても面白く上質なものでした。57歳の若さにして亡くなられたとのことで本当に惜しいなあと、一ファンとしてネットの片隅でそう思います。


ご冥福をお祈りいたします。