スライムさんすこしがんばる

このひまをどのように

天気の話をしましょう、自分を大切にしましょう

ふと思いつく、天気の話をおおっぴらにできる人は自己肯定感を持ち合わせている人なのではないか、と。

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商談、会談時のアイスブレイクで天気の話をする人がいる。ぼくは少し前までくだらないなと思っていた。同級生ともそういうことを一緒になって話した覚えがある。会社の先輩をクサして「あいつら出会いがしらに天気の話なんかするんだぜ、本当つまんねえよな」という具合だ。

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さっき、小雨の中を一駅ぶん歩いて帰ってきた。10分と少しだ。家の最寄までは、ターミナル駅から乗り換えて一駅だけなので、気分が乗れば歩く。今日は友人とお酒を飲んできて上機嫌だったから歩いた。歩きながら考える、春なので、心地が良い風がふくので冬よりきぶんがいいな。小雨が降っているのはすこしどんよりするから、明日は晴れるといいな。

ここまで考えて気づく、少し前のぼくは天気なんかこういうふうに天気のことを気にしただろうか。曇りや雨は気分が塞ぐから、明日が晴れてほしいなどと思っただろうか。答えはノー、ぼくはそんなことには頓着しなかったはずだ。その証拠に、ぼくは雨のないときに傘を持ち歩く習慣がない。基本的に天気予報というものを見ることがないからだ。出先で振り出したときはたいてい往生するし、家を出るとき降っていて出先でやむとかならずそこに傘を忘れる(ADHDか?)。

さらに思い出すのは、小学生のときや高校生のとき。あのころぼくはちゃんと天気を気にしていたと思う。雨が降れば残念に思ったし、夏の日の晴れは気が滅入ったし、冬晴れを気持ちいいと思うこころがあったとぼんやりと思い返す。

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天気は人間にとって些細なもののようで、案外たいせつなものだ。雨で足元がぐちゃぐちゃになれば気分はわるいし、青い空は気持ちがいい。それでも感情の動きが鈍くなっていると、そんなことが全然わからなくなる。足元も空の具合もどうでもいいと思うようになる。だから天気の話を、自分(の感情)にとってたいせつだと思える人は、自分を大切にできている人なのではないかと思う。そしてそれが商談相手にもたいせつだとわかっていて、おおっぴらにそれを話題にできるということもなにをかいわんや、ということだ。

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この話が正しいとばかりは思わないし、天気については個々人感じ方があると思う。それでもぼくにとっては、天気を気をかけられるというのは自分の感情に気をかけることができる状態とイコールなのだ。自分の感情の機微を感じ取ることはとても大事なことで、それができなくなったら一度立ち止まったほうがいい。なんだかJ-POPの歌詞のようだけど。

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だからこれからは、天気のことをだいじに扱って、人間にとって大切なことだと思って、もっともっと大げさに天気の話をしよう。くだらないなんて言っているより、きっとそのほうがいい。

いいなー

いいなー って人に言うのはひとつの礼儀だと思っている。SNSでいう『いいね』の変化形くらいに考えている。



錦糸町の名物かあちゃんのいる居酒屋に連れていかれて僕はもう二日酔いがこの時間まで治らないのだけど、昨日そこで言われたことは明確に覚えている。カウンターで隣り合わせた人と他愛もない話題でげらげら話していたら、そこのかあちゃんから「やたらにうらやましがってんじゃないよばかたれが」という言葉を投げられたのだった。店の名誉のために補足していうと、そういう愛のあるジョークを客へ飛ばす店なのだ(ちなみに僕が乗っかってもう一段口汚いジョークをを飛ばしたら真剣に怒られたので素直にごめんなさいをした)。隣の客によっぽどいいないいなと言っていたのだろう、別によくないと思うことにそういうことは言わないから嘘をついていたわけではないのだけど、そういえばちょっと鬱陶しいかもしれない。

これは前々から人と話すと自分で感じていたことで、人が嬉しそうにする話だったら喜んだり羨ましがったりしなきゃいけないよな、っていう僕のあんまり健全じゃない感じ方が問題なのだった。そういう話し方をしていると、(僕はどうにも羨ましがりすぎじゃないかな、)と自分でもたまに思う。こういう調子なので、僕が自分の話をするときは基本的に自虐的な話しかできないのだった。それでも最近は自分をやたらに守ったり隠したりしないように気をつけていて、やっぱりそっちのほうが人間関係はうまくまわるなあと感じている。疲れるとなかなかできないけれど。



昨夜さんざん吐き戻すくらい飲んだのに、記憶だけはしっかり残っている。僕の特技というか性質だ。お酒を飲みすぎたら記憶を飛んでしまう人のことは、『いいなー』どころじゃなく本当にうらやましく思っている。

目眩まし/W.G.ゼーバルトを高校生のときに読んだ話

目眩まし (ゼーバルト・コレクション)

目眩まし (ゼーバルト・コレクション)


趣味は読書。」な人たちからすれば、長い旅行にどの本を持っていくかという荷造りの際の決断は果て無く重いものだと思う。本は重いし、そもそも観光なりなんなり目的があっていくのだからそんなにたくさん読めるはずもない。そのくせ、これを旅のお供にしてよかったと思えたときは忘れられない。だからよく悩んだ末に結局全部持っていく。

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高校三年生の夏休み、語学研修の名目でオーストラリアに一か月ほどホームステイしたことがある。高三にして初の海外、越後と会津出身、バリバリ日系メーカー社内恋愛の純ジャパ両親のもとに生まれた僕が初めて踏んだ海外の地は、オーストラリア国サウスオーストラリア州アデレードという、若干規模的に微妙な都市だった。

提携校の生徒の家庭にステイするのがふつうなのだが、僕には運悪く年の近い生徒のいる家庭があてがわれなかった。受け入れる家庭がたりなかったのだという。代わりに初老の、お子さんが全員独立した先生が受け入れていくれることになった。初見の際、子供がみんな大きくなってしまってすまないね、くらいのことをいわれた。自分はイタリアからの移民の二世なのだとその先生は付け加えた。

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半分は親の笑顔の強制で、もう半分は本当に行きたかったドイツ短期留学プログラムに学力不足で落選した自分のせいで、当時のぼくはアデレードにいた。英語がうまくなりたい気持ちなんてほとんどなかった。のっけから憂鬱なホームステイだったから、子供がいないくらいどうでもよかったというのが本音だ。

せめて気分だけでもドイツに行ったことにしようと思って『目眩まし』を持って行ったのだと思う。当時は背伸びした感じもあったけど、ゼーバルトは今でもいっとう好きな作家だ。読んでいるとだんだんダウナーにトリップするような文体もストーリーも。このときもほかに持って行った本があるはずなのだけれど、もう忘れてしまった。

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英語環境がどうこうの前にそもそもコミュ障だったから、毎夜疲れて10時そこそこには部屋のベッドに入った。そしたらねむくなるまで本を読むか、iPodに入れたネットラジオを聴いていた。ひどい言いぐさだがホストファミリーが初老の夫婦でよかったと思えたのはこのときで、ほかの家庭は生徒と相部屋もあるし、12時くらいまでおしゃべりしなければならないらしかった。

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とにかく毎夜これを読むか、ひだまりラジオを聴くか有意義なんだか阿呆なんだかわからない夜を過ごした。

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僕がこんなだったのは、彼らが意地悪だったとかそういうことではなくて、むしろ今でも足を向けて寝られないくらいとてもよくしてくれたことを思い出す。

グルメな家だった。朝飯以外は何かしらきちんと作っていた。同行した日本人に聞くと、ほかのステイ先の家庭はむしろアメリカ風で、食事は基本的に適当に済ませることが多いみたいだ。イタリア人はゆっくりと時間をとって料理を楽しむのだと言っていたような気がする。ライスクッカーを使ってジャスミンの香りがする米を炊いて、そこにサーモンを巻いて海苔巻きをつくってくれた。ある時の昼飯はカレー味のようなシーズニングを使った焼きうどんだった(シーズニングの名前がAsianなんちゃらで、きっと気を使ってくれたのだと思う。)

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あるとき、先生の父の邸宅に招かれ、ディナーを一緒した。室内には重厚なのに温かみのある木の家具や暖炉がでんと据わっていて、明らかに日本で見る『西洋風』のそれとはまるきり違っていた。横のリヴィングのテレビにはイタリア語の衛生放送が映し出され、みなイタリア語であいさつした。食卓の会話も彼らの母国語が八割で、ぼくは自分がどこにいるかわからない浮遊感のなか手作りのニョッキをつついた。

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目眩まし (ゼーバルト・コレクション)

目眩まし (ゼーバルト・コレクション)

ざっくりいうと『目眩まし』は筆者がカフカ他歴史の人物を辿って旅をする話を軸に、ほか三篇の話をつけた散文?(この人の著作を人に説明するのは難しい。ぼくは文学をやっていたわけではないし)小説みたいなもので、舞台は奇遇にもイタリアだった。だからなにってわけではなく、せっかく精神だけでもドイツに飛ぼうとした僕は、なんでかイタリアンに囲まれて過ごしたのだった。

2章の『異国へ』で主人公がヴェローナの新聞をめくって見つけたミネラルウォーターの広告を(ゼーバルトの本にはわけのわからん記録とも創作ともつかない写真がよく挿まれている)その先生にみせると、なんとなく話も弾んだ。向こうからすれば、日本の陰気な学生がけったいな本を開いたと思ったら、母国の飲料水の広告が出てきた、何だこりゃ、という感じかもしれないのだけど。

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日が進むにつれて、だんだんとぼくも英語に慣れたし、打ち解けることもできた。結局楽しい体験もたくさんした。とはいえ残りの日々も、ぼくは相変わらずひだまりラジオを聞くか、『目眩まし』を少しずつ読み進める夜を過ごしたのだった。本当に毎晩そうだったのだ、そういえば思い出す、当然あのころお酒なんか飲めないのだから。

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ベジマイトもカンガルーもそこそこに済ませてしまったオーストラリアのホームステイのその後、私は大学で移民や難民問題を専攻して卒業したのち、それとは何も関係のない企業に就職した。海外の取引先と、未だに拙いままの英語でやり取りをしている。そしてごくたまに、案外いろんなことがそこここでつながっていること、そういえば彼の地イタリアを未訪問のままにしていること、カレーみたいな味のする焼きうどんのことを思い出したりしている。

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特別お題「青春の一冊」 with P+D MAGAZINE
http://blog.hatena.ne.jp/-/campaign/pdmagazine

依存と日々のたいくつ

お酒とタバコを試しにやめてみた。特段理由があったわけではない。もちろん付き合いがあるから、何かしらの会合があればお酒は飲むし、タバコも吸う。タバコは急にやめると離脱症状が出てぼんやりとした頭の空白と眠気が襲ってくるので、だんだんとやめている。今は1日眠くなってはいけない時に1本だけ吸っている。たまにだけ吸っていると、すったときにふらふらする。酩酊と似ていて面白い。
理由は特段ないと書いたが、嘘だと思う。私には手に入りそうでどうしても手に入らないものがあって、最近それがやはり手に入らないものなのだという明確な認識を得るに至ったのだけれど、それを理解してからというもの、特に執着するものがなくなってしまったのだった。そうしたらなんとなくお酒とか煙草がただの快楽装置であることにやっと気づいて、その無二性が勘違いだということがわかった。因果関係としては大変弱いのだが、結局のところ冷静に周りが見えるようになったという単純な原理なのではないかと思っている。
要するに、ストレスを解消したいのであれば過食でも音楽でもセックスでも運動でもなんでもいいわけだ。酒煙草は手軽さという利点があるけれど、それに頼るのは眠れなくなったときくらいでいい。ストレスの多寡なんてのは自助努力でどうにかできる範囲は少なくて(特に僕のような人間にとっては)、その範囲を拡大していくことは継続的に取り組む課題ではあるけれども、喫緊の対策として、世間様から頂いたストレスをどうやって産廃にするかを考えなければいけないから、その一助くらいの使い方をしていきたいなとは思っている。
こう書くとインプットとアウトプットだけのとても無味乾燥な世界になってるように見える。実際はその通りで、今の私は外界に対する愛着がだんだんと減っていって、とても退屈しているのだと思っている。反対に、ドラッグを求める人はこの世とか自分にとても執着とか愛着があるのだろう、人生はもっと心地よく、刺激に満ちたものであらねばならないという理想。私は幸運にも、普通にしていれば大層な苦痛を被るような環境にはいないから、もっと心地よくあればいいという思いは薄い。

メシのアイデンティティ

学校給食で郷土料理を出す意味は

年一回給食に出すくらいで郷土メニューを残せるのなら不味かろうと出してほしい/美味い不味いなんて学習と体験でたゆたうもんなんだし/あと保存の必要性とか言い出したら大半の料理は必要なんかなくなるよ。

2016/01/30 12:11


ですから繰り返すように、料理というのは、食というのは文化であるのです。そこに人間の愛着がある限り。でなくば世界中の食物はとっくのとうに統一されていなければおかしい。栄養価が高くバランスにも優れていて、消化機能を衰えさせない程度の剛性を持ち、飽きさせないように数十種程度のバリエーションがあり、そして美味しい。考えてみればみなこういうものを食べるべきだけれども、決してそうはならないでしょう。見廻してみればみんな、たまにジャンクなハンバーガーを食べたくなったり、学生の時に食べたラーメンの味をなつかしがったりしているでしょう。給食の謎メニューを昔話の話題に挙げるでしょう。特別な日の食事は、こどもにとってはハンバーグだし、大人にとってはフレンチのコースだったりするでしょう。昔と比べれば少ないですが、お正月におせち料理を食べる家庭もまだまだあるでしょう、今の時代、三が日だってスーパーもコンビニもやっているというのに。街に出てみれば尖った味のエスニック料理店が並び、わざわざ海外に出たところで日本食料理店に出会うでしょう。これらはすべて、食事をするということ、料理をするということが文化的な行為だということの証左に他ならないのです。
自分について言えば、根元は白河ラーメンであり、いかにんじんであり、エキソンパイとままどおるでした。特に東京に出てきてからは、白河や喜多方の平打ち太ちぢれ麺を懐かしがったものです。別に郷土縁のものでなくてもいい、子供のころ食べた塩味のきついイタメモノであっても、人間は記憶や思い入れを簡単に手放せない、それは何故なら自己同一性を担保するものでもあるから。
言うなれば私は、コンビニ食や駄菓子だって文化の一翼を十分に担っていると考えます。残業して終電で帰ってきた単身者が、保存料がしこたま入っていてもいいからといってコンビニでお弁当を買っていくというのは、社会状況を反映した立派な史料です。(最もこれに関しては負の文化という方が正しいのかもしれません。)
軍の缶詰糧食が「ミリメシ」といって一時期持て囃されたことからも、食が栄養価と美味しさとコスト以外の語るべきことを持っているということがわかります。

それにしたって、消えていくものは無理して残さなくても良いと考える向きももちろんあります。私はそれに断固反対します。まあ、おそらくリキんでいるのは私だけで、世の中の大半の方は自然に「残した方がいいよなあ」と思っていることでしょう。ですのでここで私がリキむ必要などはなく、努力のもとに残されていく食文化を有り難く享受していくのだと、そしてそれは大いなる楽しみだと、そう思っているのでございます。

いつもの不安はいつか

この不安はいつ消えるのだろうかということを考えて始めて久しい。
この不安というのは特定の事象に対する不安ではなく、私の中にある消えることのない不安感のことを言っている。とはいえ不安が表出するときは対象が明確に存在し、それは目の前にあるものならなんでもよいのだった。梯子を見れば落ちて首を折ったらどうしようと思い、仕事となればうまくいかなかったらどうしようと胃痛を抱え、女の子なんかと付き合った日にはいつ振られるかどうかばかりに関心が向いて日々がままならなくなってしまう。

私の大切な友人は、それは抑圧を抱えているからだというのだった。では私の抑圧はなんだというのか?それはたしかに、子供でいさせてくれなかった母や理不尽に激昂する父、はたまた友人ヅラをしながら高圧的に物事を要求する彼らだったかもしれない。

そしてそれらに適切に対処し、関係を問い直して安心できるものに変えていかなければならないのだろうか。それは多分一つの答えで、ただもう一つ友人は付け加える、その不安が消えることはきっとない、ならばできるだけ普段からそれを考えないように、しかし放っておかないように、適切に取り扱えるようにしておくべきなのだと。僕らは、と彼は言う、僕らはそういう運命の元に生まれついてしまったのだ、嘆いても悔いてもこれを変えることはままならないのだ、願わくば嘆いたり悲しんだりばかりの、本当に死んでしまった方がマシみたいな人生にならないよう、陰惨でも人から認められなくても歓びを感じながら生きた方がいいに決まっている、と。

その通りだと私は相槌を打つ。一体いつになったら心の底から歓びを感じられるようになるのだろうなと。それは果てなく遠いような、すぐに手が届きそうな私のひとつの希望となって今も私の中にたゆたっている。

暇な土日にすることは

大学図書館に行って会員カードを更新して、ついでにツェラン詩集を読むこと

また怒られたドラムの練習をすること

ブログの更新をすること

仕事で夜遅く帰ってきてもいいように常備菜を作ること

不甲斐ない出来をどうにかするために独作文を練習すること

Der SCHPIEGELを読むこと

全体的に溜まっている家事をすること

特に数少ないニットを洗うこと

いい加減に鬱陶しい髪の毛を切ること

なくなりかけのワンデーのコンタクトを買うこと

お気に入りだったのに買って3ヶ月で壊れた眼鏡を修理に出すこと

気がすむまで眠ること


いつもこの3割しかできないし、今週もそうだったけれど そんなものだ。