スライムさんすこしがんばる

このひまをどのように

大失恋

「大」失恋と大見得を切って書き出したものの、世間一般に照らしてみればものすげえ古傷生傷だらけの猛者なんてそこらへんをうろちょろしているもので、そんな傷を負ってまでよく今の今まで生きてらっしゃいましたねという話がすこし眺めただけでもごろごろしている。書いてみて感じたが、要するに結局は平凡な話だ。思うに世の人々は何を思って朝、平気な顔をしてあの乗車率百云十パーセントの総武線快速に乗り込んでいるのだろう。前の夏ごろ、部長はご尊父がなくなる際まで、そのことを一言も誰にも言わず平気な顔をして仕事をしていた。亡くなる少し前「親が死んだって言って客先のダブルブッキングを断わっておくよ」と放った台詞は3割がたの事実を含んだ嘘であったわけだ。何を思って冗談めいた口調で僕に話しかけていたのだろう。

そういうわけで、大、もとい少し手ひどい失恋をしたから何か書きつけておこうと思う。状況はこうで、10年越しの片思いで、2年越しのアプローチの末、半年付き合ってふられた。「君を好きになれたらとても素敵だけどどうもできないみたいだ」。別れの言葉だった。ちなみに言っておくと僕が男だ。彼女は男みたいな話し方をする女の子だった。


もちろん今考えれば10年毎日狂おしく思っていたわけでもない。月イチで会うようになったのは2年前、月二回に増えたのはたったの一年前の話だ。それまでには他にに彼女もできた。



ほんの数か月前の話だ。気配はその話をする2週間前だった。疾風怒濤のごとくあれよあれよと状況は進んだ。シュトルム・ウント・ドランクだった。そこの原因になにがあったかは詳細に書く気にはなれない―というのもいまだに何が主因だったのか、それが僕らでどうにかできるものであったかすらもよく把握できていないからだ。僕も彼女もそういうことを話し合うのがとても苦手だった。


失恋の気配を感知した翌日は仕事だった。幸い仕事ができないほどではなかったが、効率は最悪だった。月曜だったのをいいことに後ろに倒せるものは全て後回しにした。年次が低いと責任のない仕事が多い。暇な時期だったのもよかった。ひまな営業部でよかった。よくはないけど定時で帰った。胃のあたりはひたすらキリキリとして、胸の悪いような、心臓が締め上げられるような体感だった。なるほど心理も精神も肉体の活動に帰することに変わりはなく、こういうものは病気や風邪の一種なのだ。不快感は仕事に追われているときにのみ霧消させることができた。それ以外は四六時中つきまとった。よく「心に穴が開いたようだ」という表現があるが、穴をあけるときの傷はこんなに痛いらしい。これはもう抽象ではなく具体・物理の世界の話。



こんな状態が一週間は続いた。一週間、なんとか持ちこたえた後には失恋系の記事をインタネッツで読み漁った。各人書くことは違うし状況も違うから適当に染みつく言論のみを頭にとどめることにした。読み漁ったところで得られた最大の理解は「こういうことはある、どうしようもなく発生する」という程度のものだった。

最も自分の精神に入り込んだテキストは雨宮まみさんの人生相談コラムだった。自分を解体して組み立てなおす作業をすることがすごく楽になった気がした。
「小沢健二似の美しい元彼」 雨宮まみの“穴の底でお待ちしています” 第7回 | ココロニプロロ|恋愛×占い



それから後、僕ら特有のくだくだとした話し方で「今のステータスは交際ではない」という共通理解を得ることとなり、僕は都内で降りる駅やスポットの大半でフラッシュバックと闘わねばならなくなった。デートは都内を巡り巡ることが多く、二年もあればたいがいの場所は行きつくしていた。



復縁ももちろん考えるが、その思考が生起させるのは決まって別れ際の彼女の態度だった。結局気力は落ち込み、考えはそこで終わる。最悪のアップダウン、デフレスパイラルが一日に何百周しているかはわかりゃしないのだが、一つ学んだことは「希望は毒だ」ということ。これも雨宮氏からの引用で、ここまで文章に心を救われたことはいまだかつてない。



特に現在も回復したわけではないのでオチも救いもないけど、長くなってきたから今日はこれで終わり。