スライムさんすこしがんばる

このひまをどのように

メシのアイデンティティ

学校給食で郷土料理を出す意味は

年一回給食に出すくらいで郷土メニューを残せるのなら不味かろうと出してほしい/美味い不味いなんて学習と体験でたゆたうもんなんだし/あと保存の必要性とか言い出したら大半の料理は必要なんかなくなるよ。

2016/01/30 12:11


ですから繰り返すように、料理というのは、食というのは文化であるのです。そこに人間の愛着がある限り。でなくば世界中の食物はとっくのとうに統一されていなければおかしい。栄養価が高くバランスにも優れていて、消化機能を衰えさせない程度の剛性を持ち、飽きさせないように数十種程度のバリエーションがあり、そして美味しい。考えてみればみなこういうものを食べるべきだけれども、決してそうはならないでしょう。見廻してみればみんな、たまにジャンクなハンバーガーを食べたくなったり、学生の時に食べたラーメンの味をなつかしがったりしているでしょう。給食の謎メニューを昔話の話題に挙げるでしょう。特別な日の食事は、こどもにとってはハンバーグだし、大人にとってはフレンチのコースだったりするでしょう。昔と比べれば少ないですが、お正月におせち料理を食べる家庭もまだまだあるでしょう、今の時代、三が日だってスーパーもコンビニもやっているというのに。街に出てみれば尖った味のエスニック料理店が並び、わざわざ海外に出たところで日本食料理店に出会うでしょう。これらはすべて、食事をするということ、料理をするということが文化的な行為だということの証左に他ならないのです。
自分について言えば、根元は白河ラーメンであり、いかにんじんであり、エキソンパイとままどおるでした。特に東京に出てきてからは、白河や喜多方の平打ち太ちぢれ麺を懐かしがったものです。別に郷土縁のものでなくてもいい、子供のころ食べた塩味のきついイタメモノであっても、人間は記憶や思い入れを簡単に手放せない、それは何故なら自己同一性を担保するものでもあるから。
言うなれば私は、コンビニ食や駄菓子だって文化の一翼を十分に担っていると考えます。残業して終電で帰ってきた単身者が、保存料がしこたま入っていてもいいからといってコンビニでお弁当を買っていくというのは、社会状況を反映した立派な史料です。(最もこれに関しては負の文化という方が正しいのかもしれません。)
軍の缶詰糧食が「ミリメシ」といって一時期持て囃されたことからも、食が栄養価と美味しさとコスト以外の語るべきことを持っているということがわかります。

それにしたって、消えていくものは無理して残さなくても良いと考える向きももちろんあります。私はそれに断固反対します。まあ、おそらくリキんでいるのは私だけで、世の中の大半の方は自然に「残した方がいいよなあ」と思っていることでしょう。ですのでここで私がリキむ必要などはなく、努力のもとに残されていく食文化を有り難く享受していくのだと、そしてそれは大いなる楽しみだと、そう思っているのでございます。