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このひまをどのように

目眩まし/W.G.ゼーバルトを高校生のときに読んだ話

目眩まし (ゼーバルト・コレクション)

目眩まし (ゼーバルト・コレクション)


趣味は読書。」な人たちからすれば、長い旅行にどの本を持っていくかという荷造りの際の決断は果て無く重いものだと思う。本は重いし、そもそも観光なりなんなり目的があっていくのだからそんなにたくさん読めるはずもない。そのくせ、これを旅のお供にしてよかったと思えたときは忘れられない。だからよく悩んだ末に結局全部持っていく。

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高校三年生の夏休み、語学研修の名目でオーストラリアに一か月ほどホームステイしたことがある。高三にして初の海外、越後と会津出身、バリバリ日系メーカー社内恋愛の純ジャパ両親のもとに生まれた僕が初めて踏んだ海外の地は、オーストラリア国サウスオーストラリア州アデレードという、若干規模的に微妙な都市だった。

提携校の生徒の家庭にステイするのがふつうなのだが、僕には運悪く年の近い生徒のいる家庭があてがわれなかった。受け入れる家庭がたりなかったのだという。代わりに初老の、お子さんが全員独立した先生が受け入れていくれることになった。初見の際、子供がみんな大きくなってしまってすまないね、くらいのことをいわれた。自分はイタリアからの移民の二世なのだとその先生は付け加えた。

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半分は親の笑顔の強制で、もう半分は本当に行きたかったドイツ短期留学プログラムに学力不足で落選した自分のせいで、当時のぼくはアデレードにいた。英語がうまくなりたい気持ちなんてほとんどなかった。のっけから憂鬱なホームステイだったから、子供がいないくらいどうでもよかったというのが本音だ。

せめて気分だけでもドイツに行ったことにしようと思って『目眩まし』を持って行ったのだと思う。当時は背伸びした感じもあったけど、ゼーバルトは今でもいっとう好きな作家だ。読んでいるとだんだんダウナーにトリップするような文体もストーリーも。このときもほかに持って行った本があるはずなのだけれど、もう忘れてしまった。

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英語環境がどうこうの前にそもそもコミュ障だったから、毎夜疲れて10時そこそこには部屋のベッドに入った。そしたらねむくなるまで本を読むか、iPodに入れたネットラジオを聴いていた。ひどい言いぐさだがホストファミリーが初老の夫婦でよかったと思えたのはこのときで、ほかの家庭は生徒と相部屋もあるし、12時くらいまでおしゃべりしなければならないらしかった。

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とにかく毎夜これを読むか、ひだまりラジオを聴くか有意義なんだか阿呆なんだかわからない夜を過ごした。

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僕がこんなだったのは、彼らが意地悪だったとかそういうことではなくて、むしろ今でも足を向けて寝られないくらいとてもよくしてくれたことを思い出す。

グルメな家だった。朝飯以外は何かしらきちんと作っていた。同行した日本人に聞くと、ほかのステイ先の家庭はむしろアメリカ風で、食事は基本的に適当に済ませることが多いみたいだ。イタリア人はゆっくりと時間をとって料理を楽しむのだと言っていたような気がする。ライスクッカーを使ってジャスミンの香りがする米を炊いて、そこにサーモンを巻いて海苔巻きをつくってくれた。ある時の昼飯はカレー味のようなシーズニングを使った焼きうどんだった(シーズニングの名前がAsianなんちゃらで、きっと気を使ってくれたのだと思う。)

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あるとき、先生の父の邸宅に招かれ、ディナーを一緒した。室内には重厚なのに温かみのある木の家具や暖炉がでんと据わっていて、明らかに日本で見る『西洋風』のそれとはまるきり違っていた。横のリヴィングのテレビにはイタリア語の衛生放送が映し出され、みなイタリア語であいさつした。食卓の会話も彼らの母国語が八割で、ぼくは自分がどこにいるかわからない浮遊感のなか手作りのニョッキをつついた。

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目眩まし (ゼーバルト・コレクション)

目眩まし (ゼーバルト・コレクション)

ざっくりいうと『目眩まし』は筆者がカフカ他歴史の人物を辿って旅をする話を軸に、ほか三篇の話をつけた散文?(この人の著作を人に説明するのは難しい。ぼくは文学をやっていたわけではないし)小説みたいなもので、舞台は奇遇にもイタリアだった。だからなにってわけではなく、せっかく精神だけでもドイツに飛ぼうとした僕は、なんでかイタリアンに囲まれて過ごしたのだった。

2章の『異国へ』で主人公がヴェローナの新聞をめくって見つけたミネラルウォーターの広告を(ゼーバルトの本にはわけのわからん記録とも創作ともつかない写真がよく挿まれている)その先生にみせると、なんとなく話も弾んだ。向こうからすれば、日本の陰気な学生がけったいな本を開いたと思ったら、母国の飲料水の広告が出てきた、何だこりゃ、という感じかもしれないのだけど。

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日が進むにつれて、だんだんとぼくも英語に慣れたし、打ち解けることもできた。結局楽しい体験もたくさんした。とはいえ残りの日々も、ぼくは相変わらずひだまりラジオを聞くか、『目眩まし』を少しずつ読み進める夜を過ごしたのだった。本当に毎晩そうだったのだ、そういえば思い出す、当然あのころお酒なんか飲めないのだから。

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ベジマイトもカンガルーもそこそこに済ませてしまったオーストラリアのホームステイのその後、私は大学で移民や難民問題を専攻して卒業したのち、それとは何も関係のない企業に就職した。海外の取引先と、未だに拙いままの英語でやり取りをしている。そしてごくたまに、案外いろんなことがそこここでつながっていること、そういえば彼の地イタリアを未訪問のままにしていること、カレーみたいな味のする焼きうどんのことを思い出したりしている。

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