スライムさんすこしがんばる

このひまをどのように

お誕生日席の赤ん坊

 朝、上司の上司つまりは事業部長クラスの上長から声がかかる。


 ―くん。ちょっといいかな。


 またか、と思う。憂鬱を見せないように一瞬で表情を整えるが絶対に笑顔にはしない。あなたを甘やかすことはありません、という表情でシマの端のお誕生日席に歩いていく。


 これさ、昨日の客先へのメール、どういうこと?


 ほらきた。正直やってはいられないという表情が自分でも出ていると思う。仕方がないから説明する。「仕様の変更をお願いされたので、その返答です。確約はしていません。正直厳しいとは思いますが、一応○○さんのグループに検討を依頼しています。」むろん、これでは済まないのがこの世界の常だ。案の定自分の返答に覆いかぶさるように、不快な声が発せられる。


 そういうことを聴いているんじゃないんだよ。こんな仕様変更があるなんて、俺は聞いてない。これじゃおれが上に説明できないだろうが。


 だったら最初からそう聞け、という言葉をぐっとこらえて「すみません」という。ここで反論をしてはいけない。彼が望んでいる答えを見つけ、それを丁寧に描写することに努めるのが最優先だ。「あちらさんも結構混乱しているんだと思いますよ。きっと向こうの意思決定がはっきりしたら連絡をくれると思います。週末あたりにフォロー入れておきますね。」


 ふーん。じゃあこれはちゃんとフォローされてるってわけね。りょうかいりょうかい。でもさあ、


 でもさあ、のあとはもう聞かない。感情を殺して相槌を打つマシーンに徹するのみ。途中に少し愛想笑いを入れて、仕上げに「大変ですねえ」の一言でも掛けてあげればこれでほとんど解決、最後に自席に戻ってから「ああ甘やかしてしまっている」という自己嫌悪を踏んづければ一連の動作の終わり。

 非効率なことこの上ない、と思う。今説明した事実によって物事は変化しただろうか。何も。こいつの時間感覚はどうなっているのだろうか。お前がただ知ることによってが何か便益をもたらしたことが今まであったのか。いや、聞くにしてももう少し態度というものがあるだろうとは思う、若輩者が言うことではないのかもしれないが。しかしほか中堅―ベテランクラスからも同様の苦情は寄せられるので、私の認知のゆがみではないと少し安心する。

 こういうとき私はああかわいそうな人もいるものだと思って悲しみに暮れ、すこし時間をやり過ごすことにしている。不安に飽かしてすべてを把握しようとしたところで、そんなことはできるはずがないのだ。挙げ句にどうにか数分で理解できた情報のみですべて自分で判断しようとするからタチが悪い。指示を受けた人間はシカトを決め込むか、さもなければ真に受けて東奔西走する羽目になる。要するに上からの評価に怯えたマイクロマネジメント型の上司。
 
これをうまく執り成した場合―それでも彼は指示を出したがるのだが、それは要約すればすべて「がんばれ」にという一語に変換される政治答弁のようなものになる。これを引き出せれば当座はよろしい。
 がんばれという呼び掛けには、頑張ります以外の返答はなく、何かが変化するわけではない。しかしこの応答は大切だ。誰だって職場の雰囲気を壊したいわけではないし、そうしてあやしておけば少しは静かにしていてくれる。赤ん坊みたいなものだ。

 職場の人間がそれを是正する努力を怠っているという考えはとうに捨てた。みな一度ならず学んだのである。だいたい、一回聞かせてわかるような相手であればこのような事態にはなっていない。
聞く耳を持っているかどうかは重要だ。自らの論理を開示しエネルギーを使って反駁したところで、その報酬が八つ当たりに近い怒鳴り声だというのなら、こんな骨折り損の話はないのだから。ただ私たちができることはゲリラのように上げる情報を丁寧に取捨選択し、ときにはなだめすかし、権力だけはある彼をどのようにコントロールするかという一点に尽きるのだ。

 この人はもう治らないだろうな、と思う。かわいそうだ。思えば父もそういう人間だった。父は家庭だからそういう態度をとっていたのであり、職場という環境にあれば颯爽と仕事をこなしているのであろうという一抹の期待が昔はあったものだが、これを見ているとどうにも違うのだろうと思うようになった。50代。親と同年代だ。いろいろなことについて親の説得を試み失敗した私だが、きっと二の轍を踏むことはないだろうと考えている。


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トイアンナさんの記事(下記)に触発されて、とても偉そうなお話を書きました。お恥ずかしながらマイクロマネジメントという言葉はブログを読むまで知りませんでしたが、ドヤ顔で使ってみました。ウチの上司はこんなですが、紹介先で書かれているほど細かくはなく、詰めもそこまで厳しくないのでなんだかんだ恵まれた環境だとは思っています。

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